画家解説
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貞秀 さだひで 文化4年(1807)~明治11年頃(1878)?
橋本氏、名は兼次郎、また謙。歌川氏、のち橋本氏を名乗り、貞秀、玉蘭、玉蘭斎、一玉斎、玉蘭主人、五雲亭と称した。下総国布佐生まれ。歌川国貞(三代豊国)の門人。文政年間後半より合巻本や読本に挿絵を描いていたが、天保頃から風景画、美人画、武者絵などの錦絵を手がけるようになった。その後、遠近法を多用した3~10枚からなる大部の各地鳥瞰式細密風景画を描き、「通覧の貞秀」の名を高めた。この他、横浜居留地の風俗・風景を描く「横浜浮世絵」の作品も多い。慶応2年(1866)のパリ万国博覧会には、歌川芳宗とともに、浮世絵師の出品をとりまとめる総代を勤めた。
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