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カテゴリ /錦絵にみる大阪の風景
作品名
堂島米市の図  
ドウジマコメイチノズ  
浪花名所図会  
画家名
広重(初代)画  
ヒロシゲ  
画家解説 広重(初代) ひろしげ 寛政9年(1797)~安政5年(1858)
安藤氏、幼名は徳太郎、後に重右衛門、徳兵衛と改名した。広重、一遊斎、一幽斎、一立斎、立斎と称した。歌川姓を名乗る。江戸定火消同心の子に生まれ、文化6年(1809)13歳で同心職を受け継いだ。その頃から画を志し、歌川豊広に師事、はじめは美人画や合巻本に挿絵を描いていたが、天保元年(1830)より風景版画に転進。その直後発表した『東海道五拾三次』が好評を博し、風景版画家としての位置を確固たるものにした。とりわけ上方の風物・風景を描いた『浪花名所図会』『京都名所』『近江名所』は詩情豊かな作品として名高い。
請求番号 大和銀-1
名所
堂島  
ドウジマ  
現在の市区町村
北区  
ジャンル名
商工業  
作品解説 蜆川と堂島川に挟まれた一帯を堂島といい、貞享2年(1685)河村瑞賢の両川改修後に開発され、天満舟を造る舟大工が多く住み、舟小屋ができ発展していった。元禄年間(1688~1703)頃には遊所町となり、その後遊所は曽根崎新地に移り、堂島には米市場が開かれ、享保15年(1730)に米相場会所がつくられ、また諸藩の蔵屋敷も多く立地し商業の中心地となっていった。
 名前の由来については、聖徳太子が四天王寺建立の際、風水害が起こって諸材尽く散じてここへ流れ着いたため堂の島といったという説、流水南北に分かれ、その中にある地なので胴島といったという説などいくつかの説がある。

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