カテゴリ
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/錦絵にみる大阪の風景
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作品名
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生玉弁天池夜景
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イクタマベンテンイケヨルノケイ
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浪花百景
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画家名
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画家解説
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芳雪 よしゆき 天保6年(1835)~明治12年(1879)
森氏、芳雪、南粋亭、六花園などと称した。大坂の人。一鶯斎芳梅の門人。役者絵や風景画、明治になって開化風俗画などを描いた。明治8年(1875)頃まで活躍した。
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請求番号
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甲和-1086
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名所
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現在の市区町村
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ジャンル名
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作品解説
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創建は古く、社伝によると神武天皇が難波津上陸の際に生島、足島の両神を祀ったのが始まりという。中世期には荒廃し、明応4年(1495)に蓮如が修復するが織田信長と石山合戦で焼失。豊臣秀吉が現在の地に移転の上、改築させた。
本社の後ろに舞台が設けられ、西の方をみれば市中の甍が波のごとく連なり、そのむこうの海には数多くの船を望むことができた。このため、茶店が軒を連ね、大いに賑わっていた。
井原西鶴は二度この神社の境内で矢数俳諧を催し、2度目の延宝8年(1680)には一昼夜に4000句を詠んだ。
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