カテゴリ
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/錦絵にみる大阪の風景
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作品名
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野中観音桃華盛り
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ノナカカンノンモモハナサカリ
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浪花百景
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画家名
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画家解説
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芳瀧 よしたき 天保12年(1841)~明治32年(1899)
中井氏、明治初期、一時笹木姓を名乗った。通称恒次郎、芳瀧、一養亭、一養斎、養水などと称した。大坂鰻谷の生まれ、長く大坂に居住したが、京都へ転居、のち堺へ移り住み、堺の甲斐町で歿した。一鶯斎芳梅の門人。長谷川貞信と並び称される代表的な上方浮世絵師で、中判役者絵の作品が多い。この他、風景画、絵入り本の挿絵などの作品も多く、明治期には錦絵新聞(記事・挿絵とも)も手がけた。
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請求番号
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甲和-1086
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名所
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現在の市区町村
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ジャンル名
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作品解説
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本尊は行基作で平景清の念持仏であったとされる十一面観音。遍明院とも呼ばれる。以前は近鉄上六駅に位置したが、大正13年(1924)現在の生野区巽北1丁目に移転した。
天平8年(736)秋8月、東大寺大仏開眼供養のため天竺から導師を、林邑から楽士を迎えるように聖武天皇が行基に命じ、難波の高津に堂宇を建てさせたのが起こりだという。そのあたりは東高津の野原の中だったため野中観音と呼ばれた。往時流行した浪華三十三所観音めぐりの第十三番の札所で『曽根崎心中』の観音めぐりの項にも登場し、また一帯は桃の名所として知られ、多くの参拝客で賑った。
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