作品解説
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創建は古く、社伝によると神武天皇が難波津上陸の際に生島、足島の両神を祀ったのが始まりという。中世期には荒廃し、明応4年(1495)に蓮如が修復するが織田信長と石山合戦で焼失。豊臣秀吉が現在の地に移転の上、改築させた。
本社の後ろに舞台が設けられ、西の方をみれば市中の甍が波のごとく連なり、そのむこうの海には数多くの船を望むことができた。このため、茶店が軒を連ね、大いに賑わっていた。
井原西鶴は二度この神社の境内で矢数俳諧を催し、2度目の延宝8年(1680)には一昼夜に4000句を詠んだ。
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