作品解説
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森之宮神社は鵲之森之宮を略したもので、推古天皇時代吉土盤金が朝鮮から持ち帰った鵲を献上し、この森で飼ったのでその名がついたといわれる。社伝によると、崇峻帝2年(589)7月に聖徳太子は父である用命天皇の追善のため自像を刻んで社伝を営んだのが起こりで、他に穴穂部間人皇后なども祠られている。
古くは蓮如が下に座り信者に説法し、あるいは宗門の発展を祈ったともいわれる蓮如松(明治18年(1885)枯死)が境内にあった。また天王寺七名泉の一つ「亀井」も近く、江戸期には神社の東田圃の中に入湯屋があり繁盛していたという。
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