作品解説
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大川の谷町筋に架かる橋で、江戸時代には谷町筋より一つ東側の筋に架けられていた。架橋年代は明確ではないが、大坂冬の陣の配陣図に「てん満橋」の書入れがあることや、ルイス・フロイスの『日本史』によると、天正14年(1586)以前豊臣秀吉によって大坂城下建設の一環として天満橋の前身が架橋されたと推定される。そして江戸時代に天満橋、天神橋、難波橋の三大橋はそろって架けられ、いずれも「公儀橋」に指定され幕府の直轄管理となった。
当時橋の南側には東西の町奉行所や様々な役所、北側には町奉行同心の官舎や営繕関係の役所・倉庫が建ち並び、天満橋はこれら役人の往来に多く利用されたと考えられる。その後度重なる流失を経て、明治21年(1888)天神橋と共に鉄橋化される。
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