【捷水路(しょうすいろ)】
 蛇行する河川の屈曲部を直線的に連絡するために開削した人工水路。
 洪水防止や土地利用を目的として行われる。

【瀬替え(せがえ)】
 あたらしく河道を掘削して、河川を付け替える工事。

辞書「大辞林」

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 豊中市の身近な場所で、かつて、かなり大規模なショートカット工事が実施されました。

 (1) 猪名川戸の内捷水路 (1959〜1962年)
 (2) 猪名川利倉捷水路 (1965〜1969年)
 (3) 千里川勝部捷水路 (1970年頃)
 (4) 千里川野畑捷水路 (1980年頃)

 これらのうちの、
(4) 千里川野畑捷水路工事以前の様子(蛇行していた千里川)がわかる写真などをお持ちの方がおられましたら、ぜひ、「北摂アーカイブス」まで、お知らせいただきたいのてす。

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 (1) 猪名川戸ノ内捷水路、(2) 猪名川利倉捷水路 については、国土交通省猪名川河川事務所による報告書が作成されていて、インターネットで、「利倉捷水路」で検索して、「PDF 2.39MB」(ちょっと変なタイトルです) で見ることができます。工事前と後の航空写真も掲載されています。

 「猪名川公園」(園田競馬場の南側に隣接)の「利椎富池(としとみいけ)は、かつての猪名川の痕跡です。
 豊中市と尼崎市の境界線が、この付近で、一見不自然に曲がりくねっていたり、神崎川近くで猪名川の東側に尼崎市区域が残っているのは、境界線が、かつての猪名川の流れに沿っているからです。

 「利椎富池」は、「利倉(とくら)」「椎堂(しどう)」「富田(とうだ)」の地名をつないで 命名されたようですが、現地に名称標識が設置されてないため、忘れられていって、(いながわいけ)と呼ばれるようになるのではないかとも想像しています。「富田」は、現在は「東園田町」に含まれて、地名としては消失しています。

 「猪名川公園」の少し南に、「猪名川風致公園」があり、そちらにも、かつての猪名川の痕跡の池がありますが、名前はついてないようです。地元の自然保護運動との関わりのある公園で、公園内の樹木には、人間の手を入れないようにしているようです。

【風致林】
 社寺・名所・旧跡の景観や自然景観を維持するために、保護されている森林。

辞書「大辞林」

 猪名川は、伊丹市の「神津大橋」の少し下流で、「藻川」と分流し、5km ほど下流の尼崎市の「戸ノ内」付近で、再び合流し、さらに「神崎川」に合流する、という少し不自然な形になっています。それは、(1) 猪名川戸の内捷水路工事の結果です。

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 (3) 千里川勝部捷水路、(4) 千里川野畑捷水路 工事については、(1) や (2) のような記録は残されていません。
 工事を担当した、池田土木事務所と国土交通省との、使える予算や姿勢の違いによるのかと思われます。

 工事による地形の変化を確認するのには、「大阪教育大学地理教室」が提供してくれているサイト
市町村別地形図空中写真のページ
で閲覧できる資料がよいでしょう。

 大阪市内各区、府内の各市町村別に、3つの時代の地図と航空写真を観ることができ、豊中市については、表の左端から順に、
1998年、1967年、1923年、の地図、
1999年、1974年、1947年、の航空写真を閲覧できます。

 ここでは、人間の判断で処理している地図ではなく、航空写真を使って説明します。

(注意:以下のリンク先で、航空写真の画像はデータサイズが大きいため、閲覧時はネット環境や、モバイルの場合は契約内容に注意してご覧ください。)

(3) 千里川勝部捷水路(大阪空港の南東側エリア)について

 1947年の航空写真で、工事前の様子がわかります。
 走井と勝部の間で、千里川が大きく東向きに曲がり、その後南向きに流れています。

 1974年の航空写真では、工事後の新しい流れは、ほぼ南向きに流れていて、古い千里川の流れは、埋め立てられて「勝部公園」に変わっています。

 1998年の航空写真では、「勝部公園」は、樹木が成長して、緑に覆われています。

 サイト「ふるさとの風景・豊中市勝部」の中の
写真集・千里川の風景」と
時の流れの中で・・・勝部の中の歴史」の「⑤勝部の神明社と神社合祀政策」とに、1960年頃の千里川の風景を見ることができる、貴重な写真があります。

 同じ場所は、現在は川でさえなくなっているので、あまりの違いに、同じ場所であると想像するのも難しいくらいです。

(4) 千里川野畑捷水路(千里川とロマンチック街道の交差点付近)

 1974年の航空写真で、工事前の様子がわかります。
 「野畑橋(千里川とロマンチック街道との交差点)」から、下流に向かって、千里川が、 (1) 右→(2) 左→(3) 右、へと大きく蛇行しています。

 1999年の航空写真で、工事によって、上の蛇行は姿を消しているのがわかります。
 ただ、上の (3) の蛇行の内側に新たに住宅が造られ、それを取り囲むように、蛇行の痕跡のような緑地帯が見えます。

 この写真の鮮明度では分かりにくいのですが、Google Maps の航空写真で、同じ場所を観ると、もっとよく分かります。

 個人的な感想ですが、
新たに住宅地を整備するとき、古い川の堤をそのまま残すとは考えにくいので、その緑地帯は、かつての千里川蛇行の痕跡そのものではないが、位置は、蛇行の場所にほぼ重なっているのだろうと思います。

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 「説明が長くなってしまいました。
 (1) 〜 (3) については、現在も何らかの痕跡が残っているのに対し、
(4) については、痕跡も写真もほとんど残っていないようなのです。
このエリアが、その後住宅地としての整備が進んだことと、ショートカット工事以前は、住宅も少なくて、当時の様子をご存知の方が居られない、ことによるのだと思われます。

 そのような貴重な写真や記憶をお持ちの方が居られましたら、「北摂アーカイブス」まで、お知らせいただくと、大変ありがたいのです。