現在の豊中市服部西町付近にあった穂積村は、大雨や洪水からの浸水を防ぐために、集落を大きな堤防で囲んでいました。東西約1㎞、南北0.8㎞にも及ぶ方形の堤は、極めて珍しいそうです。

【1990年(平成2年)発行『グラフとよなか』 no.26 24ページ】

 

「洪水で冠水した後には堤の中の集落だけが浮島のように見えた、といいますが、今ではそのほとんどが堤内外の土地のかさ上げに伴い目立たなくなり、阪急宝塚線服部天神駅から豊島体育館に至る道にわずかにその面影を残しているにすぎません。」(『とよなか歴史・文化財ガイドブック』p.54より引用)

私たちフォトエディターは、この穂積囲堤に興味を持ちました。

 

      【1911年(明治42年)測量 1/20,000旧版地形図「伊丹」より(豊中市立岡町図書館所蔵)】

 

『ふるさとの想い出 写真集 明治・大正・昭和 豊中』鹿島友治編 国書刊行会発行 p.16掲載の写真です。(出版社の許可を得て掲載しています)

線路越しの風景の向こうに、横一直線に長く黒く写っているのが囲堤だと思われます。

この写真は、どのあたりで、どちらの方向から撮影されたものなのか。手前に写る踏切が手掛かりになりそうです。私たちは、現在の様子を撮影して比較するために、話し合いました。

そして、一度現地を訪れてみよう、ということになり、4月末の土曜日、囲堤があったあたりを資料や地図を片手に実際にメンバーで歩いてみました。

この時の様子は、北摂アーカイブスのFacebookにも載せています。

当日いろいろなポイントで写真を撮影しました。近々にパネルにして、北摂アーカイブス写真展でご覧いただく予定です。