大島町と大阪市淀川区を結ぶ神洲橋は、昭和10(1935)年に架けられました。多くに人が利用するようになり、同45(1970)年に老朽化などのため架け替え工事を開始。 工事中は80メートルほど下流に仮橋を造りましたが、非常に混雑しました。そのため、同47(1972)年8月に歩行者の利用を先行開始。その後、完全開通しました。 平成14(2002)年には、歩道が拡張され、より安全で快適になった同橋。現在でも多くの歩行者や自動車が行き交います。 (昭和47(1972)年、提供:豊中市広報広聴課)
約40年近く国道171号線を見下ろしてきた今宮歩道橋ですが、付近の街並みもすっかり変わりました。 交通量も多くなった為,また国道171号線に接続していた旧道と今宮交差点が直近となり信号機の取り付け位置も変化し、複雑化されています。 (昭和48(1973)年,提供:箕面広報室)
明治期の地図では、服部西町の豊島体育館周辺は小さな池と湿地が広がっていました。昭和初期にため池として利用するため、水の出入りを調節するため水門を整備。「広池」と呼ばれ、地域の農業用水の要として田畑を潤していました。 その後、人口が増加し、住宅開発が進む中、昭和40年代から、同池を埋め立て同体育館などの公共施設を整備してきました。この辺りがかつて広池であったことを、同体育館の南東角にある記念碑が現在に伝えています。 (昭和45(1970)年,提供:豊中市広報広聴課 )